3.11に迎えるにあたって__「魂でもいいから、そばにいて」を読んで

「魂でもいいから、そばにいて」 を読んで 

 

  

 

 震災にあたり、この本を読んでます。

最終話の一歩手前です。

 

この手の話は昔から馴染みがあります。

母方の実家では昔から親族が不思議な体験を語ります。

母親はばあちゃんが死んだときも、黄金に光っていたばあちゃんが

いつものソファーに座っていたと語り、弟の時も鳥や色々な形で

出てきた。それ以外にもこの手の話は良く聞いていた。

僕も少しながら経験もある。

最近では何故か弟が好きなサッカーチャンネルが

勝手にひらいている。CLの試合をみるにはTVを付けてから、

FIRETVを立ち上げ、DAZNを開いてCLを選択しないといけないが

TVを付けた瞬間、CLが映っていた。ここ2週間で2回もそんな体験をした。

多分、来ているんだと思う(笑)

 

 

そんなことがあるから興味本位と震災への敬意からこの本を読んでますが、

当たり前だけど感情が引きづられる。

ここに出てくる話はみんな震災で亡くなった方の話だ。

度々、泣いてしまう。

 

みんな、あの日を振り返り、誰かを想い何かしらの心の結びつきを

しようとする。正にレクイエム(鎮魂歌)としての話なんだと思う。

不思議な体験は肉体を失ったものとの結びつきを具体化したものだ。

 

 

誰かに話すことで亡くなった者との結びつきを再確認できるんだ。

最終的には報われないかも知れないけど、それが彼らの救いなんだと

思う。話しを通して彼らの存在を感じたい。そんな必死な想いは理解できる。

 

 

余談だけど、肉体を失ったものは電波(電気)媒体になっているのでは無いかと

思う。映画の「リング」ではそんな落ちだった。

そんなことを正当化する気もないが、何となくそんな気もしている。

 

 

いずれにせよ、僕らが本を読んで感情を高ぶらせることで

少しは敬意を払えるのではないかと思う。一番ダメなこと忘れてしまうことだ。

今更だから、多くの方が亡くなって大変な悲しい想いをした人がいるし、

震災以降、色々な大変な経験をしてきる。本を読んでいるとそれを再確認できる。

語らないで苦しいでいる人も多かった。表面的な報道のニュースではない

リアルな履歴がそこにはある。

 

3.11は悲しい出来事だが、彼らを思い出せる日でもあるのは事実だし、

彼らとの結びつきを再確認出来る日でもあるんだと思う。

不思議な経験は失ったものへの愛情であり、生きることへの「希望」なんだろう。